刀剣の数々、、、青銅器時代にやってきました。頭蓋骨だってアートしてるお洒落ケースに入れちゃえば、一段と素敵に見えますね(笑)。貴方のお部屋のインテリアにも是非、シャレコウベをどうぞ~☆ と言いたくなるくらいです。
このカブトは、耳のようなツノが付いてて可愛い!
そして紀元50年には、ローマ人が来ました。
(↓ 何故か劇画タッチのローマ人・・・)
↓ これは、シーザーのキャンプがあったヒースローの、キャンプ地見取り図です。
ヒースロー、、、シーザーは飛行機で来たんでしょうか?という冗談はともかく。それを再現した下の絵ですが・・・小屋などを除けば、だだっ広い草原や牧畜のいる風景が、今も私とX君が近所の散歩でうろついているヒースロー周辺とあまり変わらない気も。。。
とにかくこうしてローマ人は、ロンドンの基礎となるロンディニアムを築いていったのです。ロンディニアムっていうのはラテン語で、「大河のそばの居留区」という意味なんだって。(←このトリビアは歴史学生のJ君も答えられなかったので、鼻高々のワタシ!)
白線で囲った部分が、そのロンディニアムだったらしい。
ロンドンはテムズを中心に創られ、テムズと共に拡大していったんですね。
こんなに大きかった、最盛期のローマ帝国。この国に交易品と様々な文化をもたらし・・・
仲人さん:「ところでロマ夫さん、ご趣味は?」
ROMA夫:「はあ、土木建築を少々・・・」
LON子:「・・・(んま、頼れるお方♪)」
というくらい土木工事が好きだったので、どんどんインフラ整備してくれました。高度成長期の田中角栄もびっくりのペースで、港湾設備はもちろん。
お風呂大好きローマ人は公共風呂も欠かせませんネ。簡便に排水できるようテムズ川の近くに建設しちゃうし。
平安京?いやいや、当時のロンディニアム中心地の様子。
さて・・・この人が窓外に眺めているモノは、ロンドン史博物館がここに建てられた理由を物語っています。
窓から見下ろすと・・・
こんな壁がありました。基礎はローマ人が作り、その後もアングロサクソンや後世のイギリス人が改善補強してきた壁なのだそうです。
ローマ帝国の金貨や、彼らが遺した神殿の一部など。西欧諸国の殆どはローマ人がかなりの部分で基礎作りに貢献したわけで、イギリス・ロンドンもその一つ。
そうして、「川べりの町(ロンディニアム)」は、ロンドンという都市に発展していきます。
ところで、いつも不思議に思うんですけど・・・私が抱く現在の「イタリア人」のイメージと、ローマ帝国の「ローマ人」のイメージって全然違うのは何故なんでしょう?今のイタリア人の祖先は、確実にローマ人なのにねぇ。
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