辺見庸・「置きざりにされた記憶」
バングラディシュ、ベトナム、フィリピン、ロシア(チェルノブイリ)、ソマリアやウガンダに彼が赴いて、現地の人たちが食べるものを実際に食べる・・・その食べ物が何かによっては、時には蛮行にも等しい行為を通じて、その国の文化・社会に奥深く入り込んでいく・・・という特異な紀行文でした。
そんな彼が今日の日本経済新聞(3月21日付)文化欄に寄稿していたので、真っ先に読みました。何と彼は、宮城県石巻市の出身だったんですね・・・。
津波で消滅してしまった海辺の故郷について書かれた随筆は、「置きざりにされた記憶」と題されていて、深い悲しみに満ちた内容に心を打たれました。まだ明日も手に入ったり、図書館などで読めるようだったら、ぜひ読んでみてください。
「もの食う人びと」の冒頭部分に、こんな文章があります。
私はある予兆を感じるともなく感じている。未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんでは消える、灰色の、まだ曖昧で小さな影。それが、いつか遠き先に、ひょっとして「飢渇」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ、広がっていくかもしれない予兆だ・・・。
もちろん日本だけでなく、同じく飽食の時代が続いている欧米諸国にもいえることなので、イギリスに居る私だって無関係ではありません。辺見庸が1994年当時に抱いていた曖昧な予感が、もしかしたら今、徐々に現実のものになりつつあるんじゃないか・・・と、時々考えてしまいます。
辺見庸オフィシャル・ブログを見ると、相変わらずハードコアな執筆活動を続けています。日本にいる頃よりもすっかり読書量が減ってしまいましたが・・・今日の記事をきっかけに、また彼の本を読んでみたくなりました。
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