大英博物館・パルテノン神殿の返還運動⇒ワタシ流解釈
ロゼッタストーン!ミイラ!パルテノン神殿!
てなもんじゃないでしょうか。歴史に(も)疎い私が、エラソーに解説できるネタじゃないです。だから斬新なアプローチ、「他人の痛みを、自分の身に置き換えてみる」。コレでいってみましょう。
まずは、見事に復元されたクサントスの「ネレイド記念堂」をさらっと流し見つつ・・・
19世紀に彼が駐トルコ英国大使で赴任していた時、貴族にありがちな美術好き・好事家だった彼は当時トルコがオスマン帝国として統治下に治めていたギリシャのパルテノン神殿に着眼。
「すげ~アートじゃん。ほすぃ~じゃん!」と入れ込み、オスマン帝国の役人に賄賂ばらまきつつ、「美術品の修復と研究」の建前のもと、がんがん引っ剥がしてイギリスへ送っちゃいました。
さてオスマン帝国のトルコ人は、イスラム教徒。ギリシャ神話の神々をはじめとする偶像崇拝を嫌う人々だから、エルギン卿の蛮行を見てみぬフリです。
その後エルギン卿は自分の邸宅の庭に彫像群を飾って悦に入っていたものの、やがて困窮してイギリス政府に売却…それが大英博物館所蔵となりました。
で、どんだけ持ち去ったかというと、、、
黒船が来たあと友好的開国ではなく、うっかり全面戦争しちゃって日本がコテンパンに負け、アメリカの統治下になったと仮定してみましょう。それでイギリス大使として駐在しに来た人が、大の美術好き。
「あのさー、キミんちの領土にある日本のさ、正倉院御物ほしいんだけどさー」
「へ~ああいうの趣味なんだ、おたく?あの辛気臭い琵琶とかぁ?いいよ俺たちロックンロールだし、フェンダーとギブソンの方が好きだから。あっ袖の下、こんなにもらっちゃって悪いね。毎度あり~」
(ペリー来航時代と少々違う気もしますが、無視して先に進みます)
イギリス大使、仲良しのアメリカ政府に賄賂あげて正倉院御物をごっそり持ち去っちゃった。。。
その後、晴れて日本はアメリカ支配から独立して平和な近代国家に。そういえば、あの時アメリカとイギリスがグルになって略奪してった国宝を取り返さなくちゃ!
「あのとき盗ってった正倉院御物、返してよ」
「いんや。私ら、ちゃんと合法的に入手したし~。」
ふざけんな。
ここまで想像したら、やっと今のギリシャ人の気持ちが理解できたような気がします。
どっちの言い分が正しいのか、この先どうなるのか、私にはよく判りません。でも、これらギリシャ神話の神々や英雄達は、ここロンドンの室内に展示されているよりも・・・眩しい太陽が燦々と輝く、故郷ギリシャに帰りたいんじゃないかなぁ、と思いました。
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